2017-10-08 鳴門一人旅② 一人旅 昨日の続き、いよいよ渦の道に突入です! 渦の道はコの字になっていまして、一番奥の展望室まで行って、 帰ってくるというコースです。 床のみタイル張り、両脇の壁はガラス張り、またはフェンスでした。 上を車が通ってるので、多分トラックなどの大型車だと思うのですが、 それが通るたびにドド~ンとすごい音がして揺れます。 海上45mで視界もいいので高所恐怖症のひとは無理かも(笑) 私も手と背中に大汗かいてました! 時系列が前後しますが、入館前は一部工事中でした。さてさて元に戻ります。通路の左側。通路の右側。吹きっさらしです。床がガラス張りの所も!怖くて近づけません~。「ジャンプ禁止」ってそんな勇気ない・・・。左を見たら工事関係者が。凄い所歩いてるなぁ~・・・。途中に4か所休憩所があり、そこは全面ガラス張りになってました。途中タイル張りの床が途切れるところがありまして・・・。そこは板を渡してあるだけなんですよ!板の間には5㎜ぐらいの隙間がありまして、その間から眼下が見えるんです。落ちないとは分かっていても恐怖でした~。思わず小走り(笑)そうして大汗かいて到着した展望室。ここは人だかりがあるので全景を撮影するのは無理だったのですが、床はお約束のガラス張りです。渦の発生時はここから眺められるみたいです。潮の満ち引きとか潮の流れとか地形によって作り出されるうず潮ですが、常時見られる渦としては世界最大だそうですよ~。この他にフランスとかノルウェーや南極でも見れらるそうです。知りませんでした。晴れていればこんな景色が見えるようですが、この日は曇り空。次は大鳴門架橋記念館「エディ」へ。ここでは橋が出来るまでの工程や、橋の詳細などが紹介されていて、見ごたえ十分でした。大正3年(1914年)に帝国議会で鳴門海峡に橋を架ける提案をした中川虎之助さん。(徳島の和三盆糖作りの家に生まれ、のちに徳島県選出の帝国議会議員になった人だそうです)でもあまりに突拍子もない発想に誰も相手をしなかったとか。それから41年後の昭和30年(1955年)に本州四国連絡橋公団設立、昭和46年(1971年)に鳴門海峡・小鳴門海峡地質調査開始、昭和48年(1973年)にはオイルショックで着工延期、ようやく昭和51年(1976年)に起工式までたどり着いたそうです。それから強風の吹く鳴門海峡にどうやって丈夫な橋を架けるか、実験に実験を重ね、今の形になるまでをパネルと専門家の解説映像、実際の工事の様子の映像で綴られます。凄く見ごたえあって面白いですよ~。ブラタモリとか好きな人にはいいかも♪です。子供向けのアトラクションはスルーしたのですが、これだけは・・・。徳島県のあの有名なかずら橋の体験ができます!これが偽物と侮る事なかれ!意外と吊り橋の怖さを体験できますよ。そして屋上は展望台になっています。うず潮観光船が見えますね~。すごく気持ちのいい景色です♪左はエスカヒル鳴門。今回ここは上らなかったのですが、全長68mの観光用エスカレーターだそうです。後ろには明日行く予定の大塚国際美術館。この後、先ほどのエスカヒル鳴門の下まで行きます。大鳴門橋は日本の道100選に選ばれているそうです。そしてエスカヒル鳴門の下にあるアイスクリームショップ「パークイン」ここで金時芋ソフトを食べました♪一番下が熱々の金時芋です。ソフトクリームはバニラ味。刺さっているのは塩味の皮の素揚げです。この塩味が絶妙!歩き回った身体に染みます~(笑)散々見て回って結構いい時間。16時36分のバスで鳴門のホテルまで向かいます。ここは始発なので既にバス停にはバスが待機。なので早めにバスに乗り出発まで待ちました。長くなりましたのでこの続きはまた今度。 いつもクリックありがとうございます。