hakubo dialy*

低収入バツイチの日々の記録

退院しましたが・・

ご心配をおかけしましたが、お陰様で無事退院出来ました。

 

2日目3日目は意思の疎通が出来ていました。

その後HCUから一般病棟に移ったらせん妄が始まり、目はうつろで話しかけても視線が合わない。

両手でベッドの柵にしがみ付き、「雨降ってる」「(弟)が塾行けない」「(姪っ子が)濡れちゃうから傘持たせて」「嫁ちゃん、姪っ子ちゃんに傘持たせて!」と叫ぶ。

それが落ち着いても目はうつろなままボーっとして、呼びかけると視線をこちらに移すだけ、という状態が数日続きました。

夜は起きて色々な所を触ってしまうので「ベッドを壁際に移しました」「眠剤を服用してもらってます」と。

センサーマットを設置してあるので私が少しでもベッドにぶつかると看護師さんがすっ飛んでくる・・・。

入院後半は少しだけ意識がハッキリしてきて「(私の)顔を見たらホッとした~」と毎日ウルウル。

毎日面会に行っていたのですが全然覚えていませんでした。

 

看護師さんは「介助があれがご自分でトイレまで歩いてます」「トイレもご自分で出来ます」とのお話だったので、介護タクシーは手配せず普通のタクシーで帰宅。

でも病院を出てタクシーに乗り込むまでが大変。

足に力が入ってないし、すくみ足。

見かねて病院のスタッフが「タクシーまで車イスまで行きましょうかね」と。

その距離2m。

ん?思ってたのと(聞いていたのと)状態が違くないか??と疑問に思ったのですが、そのまま帰宅。

案の定、タクシーを降りて家にたどり着けない!

5m歩くのに10分以上掛かって、本人は疲れ切って道に座り込む。

たまたまご近所さんが通りかかって、その方に担いで運んでもらいましたよ(涙)

もう恥ずかしいやら、自分の機転の利かなさに情けないやら・・・。

母、ごめんよ。

入院中は「管が付いていたのでテープ式オムツですが、もう取れたので履くタイプに変えておきますね」

と言われていたのですが、帰ってきて見たらテープ式のままでした。

入院したら体力も認知機能も落ちるとは覚悟していましたが、今の母の状態は一人で起きられない、歩けない、もちろんトイレ行けない、ついでに尿意も分からない。

会話が出来て食欲があるだけまだマシか・・・?

ケアマネさんが予め母の状態を病院に問い合わせていて、家で使える歩行器を何種類かレンタル会社さんへ手配してくれていたのですが、母を見たケアマネさん「これじゃ、歩行器無理ですね」「まさかここまでとは!」「病院の話とは違いすぎる」「昼間お嬢さんが居ないときは一人じゃ無理ですね」

そこで急遽ショートステイをすることになりました。

平日5日間ですが、そこでしっかりご飯食べて、リハビリがてらレクリエーションして、体力回復で来たら、という事です。

 

それまでは私が母の介助してますが、退院して3日目。

少しずつですが体力回復してきます。

ベッドからの起き上がりは無理ですが、介助して立たせれば歩行器を使って家の中を移動できるようになり、夜は「トイレ行きたい」と言うようになりました。

(失禁は相変わらずですが)垂れ流しだったおしっこも我慢できるようになり、パットの交換も減ってきました。

折角家に帰ってきてすぐにショートステイは可哀そうですが。

というか私も行かせたくない!

でもしょうがない・・。

母も「行かないとね・・。一人じゃ(起き上がりも紙パンツの交換も)出来ないし」と。

切ない・・(涙)

 

 

にほんブログ村 介護ブログ 一人で介護へ にほんブログ村 介護ブログへ

クリックありがとうございます。